先達への感謝

私は既に高齢者の仲間入り。ニューヨークで起業する以前より海外での活動の機会を頂いてきた。

何よりも驚くのは、海外における日本人ビジネスへの対応である。様々なことはあるが、仕事への態度、品質への責任、相手への礼儀など日本人ビジネスへの評価は極めて高い。

高度成長期を経験していい時代でしたよね、と思っている方も多いと思うが、どれほど団塊世代以上ががむしゃらに働き、裸足でリヤカーを引いた戦後日本を支えてきたかを忘れはいけない。高齢化社会というと殆ど良いイメージはない。むしろ邪魔者扱いにされる雰囲気さえ感じる。

近頃は働き方改革とか、ちょっと指導するとパワハラとか指摘されるらしい。私のつたない経験では、指導といういうより強制に近い指導であり、問答無用であった。しかし、愛情に満ちていた。君たちに将来の日本を任せるぞ、という気概をひしひしと感じたものだ。働き方とかパワハラとか安易に言う前に、仕事があることに先ずは感謝する心を持って欲しい。

何故、問答無用なのか。それはいってもわからないから。経験がないものはわからないし、できない。守破離(序破離とか言い方はいろいろ)というのがある。人が育つプロセスである。先ずは真似る。定石を覚える。日本の伝統芸能の殆どは真似ることから始める。楽譜もない、マニュアルもない。ある落語家は「盗もうとしない弟子には何も教えない」。教わっていません、聞いていません、マニュアルにありません云々は素人か未熟者の小理屈ではないか。

破は真似たものを、定石を使いこなす。使いこなすこともできずに、勝手にやることを形無しという。型破りとは異なる。

ネットが普及したおかげで何でもかんでも答え探しをする。私の育った組織では、下手に質問をすると怒られたものだ。師匠が言った。「質問をする前に、お前はどう思う。仮説をいってみろ。」「考えろ。仮説をもって聞くことで、気づきがある。気づきの無い学習は身にならない。」

もう少し先達が残した財産を大事にした方が良い。物事の本質に触れることができる。

(宮川 雅明)

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