共鳴と創造性

 元京都大学総長 山際壽一氏の寄稿を拝読した。人間は集団生活の中で徐々に脳が大きくなってきたとある。言葉を使い始めてから大きくなったのではない。むしろ大きくなっていない。

 集団が言葉以外で信頼できる集団を作るには身体をベースとした共鳴が必要である。そして、それは10人から15人程度が適当で150人が限界とあった。

 サッカーやラグビーは練習中は言葉を使うが、試合になればアイコンタクトや掛け声でチームが理解し適切な行動を取る。

 ネットワークの時代において、イノベーションは起こるのだろうか、ナレッジシャアリングは極めて速くなったが。

 信頼し合える仲間でなければ心理的安全性は担保できず創造的アイデアの議論の場とならない。ホンダがワイガヤを重んじ出社を前提としたのは経験というか本能的にわかっていたのかもしれない。

 副業が叫ばれているが、異質な出会いによるブレークスルーがあればイノベーションの場となるのかもしれない。単なる副収入では面白くない。

(宮川 雅明)

心理的安全性

 最近この話題を多く聞く。2021年、グーグルがプロジェクト・アリストテレスで取り組んだものだ。一般的には2016年に知られるようになったのではないか。理論としては90年代にHBSのエイミー・C・エドモンドソン教授が指摘している。

 効率中心の経営モデルから知識集約型経営モデルへ変革する上で、創造性や実験マインドが欠かせない。原文ではimperativeと表現している。必須というニュアンスだ。

 個人ではイノベーションに限界がある。よってチームになる。優秀なメンバーが集まってもチームの創造性などが高まるものではない。そこにチーム・マネジメントの鍵がある。

 この考え方はEQでも立証されている。また免疫システム Immunity to Change でも同様のことが論じられている。

 リスキリングは対処療法のように見えるが必要なことだ。しかし、本質はそこではない。

(宮川 雅明)

人事制度ではなく人材育成制度

 コンサルティングを40年もやっていると人事制度の依頼がある。クロントンビルでE3のインタビューをさせていただいたことを思い出す。大変な衝撃を受けた。多くの人事制度はGEのタイプかと思われる。GEのタイプというよりは、GE出身者が広めているといった方が私の実感にあう。

 共通する経営課題は成長戦略である。これが全てといってもよい。人事制度のコンサルティングの依頼であっても、よく聴くと成長戦略の話である。それにしても、人事制度という言葉は余り好きになれない。

 成長戦略の鍵は人材である。財務もあるだろう、戦略もあるだろう。しかし、最後は人材である。業績が向上する人材マネジメント制度とは何だろうか。そのように考えると人材育成制度になる。

一般に人事制度はコア3制度からなるが、その前に事業ビジョンそして人材ビジョンが求められる。事業ビジョンはそのポジションによって異なるので人材ビジョンも異なってくる。よって、キャリア制度も異なってくる。人事制度を一本の制度で観ること自体、時代にマッチしていないように思える。

(宮川 雅明)

信頼性というモデレーター

ハイプサイクルでは「信頼」がキーイシューになっている(ここでの信頼はデータに関するもの)。その以前から、未来予測などでは、信頼性はトップイシューといえる。

2019年2月18日放送クローズアップ現代で政府が発表するデータが信頼できるかどうかに関しアンケートが実施され、その内容が紹介された。信頼できると回答したのは僅か5%であった。関連する様々な事実がそのような回答を導いた。今でも政府による数字の忖度は度々報告されている。

大企業による不正も後を絶たない。橋梁補強といいながら実際は手抜きであった。命にかかわる。大学入試にも不公正が発覚し人の人生を狂わすことになった。

信頼が欠如した社会では安全が必要となり、結果、社会コストを増大させ、生活者の生活を逼迫させる。例えば、街中に監視カメラを置くようになれば、そのコストは住民が負担する。

取引相手が信頼できるまでは分厚い契約書、全品検査そして高い弁護士費用に備えなくてはならない。

これが良い社会かどうかは個人によって異なると思うが、根底にあるのは倫理観である。

人は生理的そして安全の欲求が満たされないと倫理を超えた行動に出ることがある。経済の安定と成長は、生活の安心に繋がる。

(宮川 雅明)

01の発想

事業開発のコンサルティングを20年以上経験させていただいている。既存事業からスピンオフするものもあれば、外部環境から発想するものもある。

戦略の基本は、外部環境の追い風に乗ることと、強み(内部環境)を活かすこと。この掛け合わせである。

しかし、強みを活かすことだけに注力すると発想が行き詰まることがある。どうしても既存の成功体験に影響を受け、リニアな発想をしてしまう。コンピテンシートラップである。

Exploitation(深堀)も大切であるがExploration(探索)も重要である。昔、師匠がいった「深堀りするのには幅がいる」。

外部環境を眺めながら理想の或いはこんなことができたら面白いというものが出てくる。

河野豊弘氏(1922年-2014年元ピッツバーグ大学名誉教授、学習院大学名誉教授)は著書の中で、「新しい組み合わせをつくる能力としての新しい角度から見る能力(フレキシブル)と、たくさんのアイデアを生み出す能力(フルーエンシー)が重要だとしている。そのためには連想の能力や類推(アナロジー)の能力が必要」と指摘している。

類推が創造性の基本であるというのは他論文でも観られる。まあ、ざっくりいうと世の中を観て、街を歩いて、事実を集めながら多様な視点で眺めてみる行動力と好奇心が大切ではないか。

先にも触れたが、新規事業には直観というかセンスのようなものが求められるのではないか。

河野先生の阿佐ヶ谷のご自宅、研究室でのお姿が懐かしい。

(宮川 雅明)

実行できない理由は経験がないから

計画を立てても、多くの議論を積み重ねても何故か実行できない。その理由はシンプルで、経験がないからである。

D.A.コルブの経験学習理論でいうなら、経験を通じて抽象化し、内省をした上で積極的行動に出ることが学習サイクルとされる。

昔、師匠が言った。「理解と納得は違う。言葉は理解しても、自身の経験と照らし合わすことができたら人は納得して頷く。そうだそうだと。しかし、臨場感の無いものはイメージが湧かない。だから本当は理解していない。疑似体験でもあれば、それに照らし合わせイメージを掴むことができる」。

コンサルタントとして事業開発に20年以上携わっているが、やったことがある範囲でしかやろうとしない。或いは、他のこと(多くは日常業務で緊急性の高いもの)を理由にやろうとしないか、ほんのちょっとだけ報告書をいじるだけで終える。

行動を変えない限り結果は変わらない。

リスクを取って新たな行動に挑戦する勇気がなければ結果は変わらない。

近頃は上手く言い逃れて、斬新な奇抜な情熱的な行動を取る人はあまり見ない。平和になりすぎたのか。情熱を傾けるもの、好奇心がないのか。

VUCAの時代、問われているのは新たなことに挑戦すること、行動することである。

(宮川 雅明)

直観

先日、ある経営者にお会いした。論理的でないと周りから御叱りを受けていて悩んでいるという。

経営者或いは企業者において直観の重要性は古くから指摘されている。1979年「経営構想力」大河内暁男は企業者の能力の第一は直観と指摘している。

昨今(2009年)では、Gerd Gigerenzerは“不確実性が高い環境においては、直観の方が論理思考より正確な将来予測をする。”と結論づけている。

Effectuationにおいても同様のことが指摘されている。

そもそも過去に例のないことを考えるのだから、論理的に詰めたらやめた方が良いということになる。しかし、過去に例のあることをやった瞬間に差別性は無く、コモディティ化する。

そんな話をしたら、「こんなに気持ちがいい日は久しぶりだ」といって玄関まで見送っていただいた。

若い人は論理的に考えた方がよいが、年長者は直観に頼って良い。脳のメカニズムでもそのようだ。

(宮川 雅明)

先達への感謝

私は既に高齢者の仲間入り。ニューヨークで起業する以前より海外での活動の機会を頂いてきた。

何よりも驚くのは、海外における日本人ビジネスへの対応である。様々なことはあるが、仕事への態度、品質への責任、相手への礼儀など日本人ビジネスへの評価は極めて高い。

高度成長期を経験していい時代でしたよね、と思っている方も多いと思うが、どれほど団塊世代以上ががむしゃらに働き、裸足でリヤカーを引いた戦後日本を支えてきたかを忘れはいけない。高齢化社会というと殆ど良いイメージはない。むしろ邪魔者扱いにされる雰囲気さえ感じる。

近頃は働き方改革とか、ちょっと指導するとパワハラとか指摘されるらしい。私のつたない経験では、指導といういうより強制に近い指導であり、問答無用であった。しかし、愛情に満ちていた。君たちに将来の日本を任せるぞ、という気概をひしひしと感じたものだ。働き方とかパワハラとか安易に言う前に、仕事があることに先ずは感謝する心を持って欲しい。

何故、問答無用なのか。それはいってもわからないから。経験がないものはわからないし、できない。守破離(序破離とか言い方はいろいろ)というのがある。人が育つプロセスである。先ずは真似る。定石を覚える。日本の伝統芸能の殆どは真似ることから始める。楽譜もない、マニュアルもない。ある落語家は「盗もうとしない弟子には何も教えない」。教わっていません、聞いていません、マニュアルにありません云々は素人か未熟者の小理屈ではないか。

破は真似たものを、定石を使いこなす。使いこなすこともできずに、勝手にやることを形無しという。型破りとは異なる。

ネットが普及したおかげで何でもかんでも答え探しをする。私の育った組織では、下手に質問をすると怒られたものだ。師匠が言った。「質問をする前に、お前はどう思う。仮説をいってみろ。」「考えろ。仮説をもって聞くことで、気づきがある。気づきの無い学習は身にならない。」

もう少し先達が残した財産を大事にした方が良い。物事の本質に触れることができる。

(宮川 雅明)

経営コンサルタントとして生きる

中学時代、父親の会社が倒産。その後、親戚に預けられる。その頃から会社を良くする仕事をしたいと何となく思い始める。

高校卒業後、靴の販売会社に就職。お金が無かったので走って会社に通う。僅かなお金が貯まり、その範囲内で行ける大学を探し、運よく入学。入学金が払えたが授業料は払えず困窮する。大学1年の夏、キャンパスで倒れる。栄養失調だった。1か月入院する。入院生活は楽しく、大部屋で私だけが豪勢なメニューだった。

港湾労働、雀荘の店員などしながら卒業を目指すが、実家もない学生にはまともな就職ができない。興信所が調べる。そういう時代であった。会社を良くする仕事をしたいのでサラリーマンになるつもりはなかった。港湾労働は非常にきつかったが楽しかった。社会を支えている底辺を知ることは視座の土台となっている。

学者になれば会社を良くする仕事ができると思っていた頃、大学院の経済経営部を新設する大学があると知り、2名枠の募集であったが、受験する。何故か運よく合格する。

ところが学者というのは会社を良くすることはしないと知る。そうではない方もいるかと思うが。悩んでいる時に、面識もない教授が「お前は日本能率協会が向いている」「俺が紹介状を書いてやろう」。日本能率協会は商工省時代の研究機関であり望んでいる所でもあった。

さっそく面接に行く。丁度、役員会らしきものをやっていて、その場で面接。「あんな奴の紹介状を持ってくる奴はろくでもない」とかいわれたが、その場で合格となった。明日から来いといわれ、「授業がある」というと、「大学院の勉強なんぞ何の役にも立たん。現場に出ろ。」「明日来れるか」…「行きます」。その後、論文はきちんと出し、無事学位は取得する。当然であるが、修了式は出ていない。

風呂なし、トイレ無しのアパートに住み続けながら、がむしゃらに仕事をし、母へ仕送りを続ける。10年後、意識不明で倒れ、復帰に半年を要する。会社との方向性に違いを感じ、約20年務めた会社を断腸の思いで辞める。その後、雇われ社長をするが、会社を良くするプロフェッショナルを目指すため退職。40歳半ばであったが、これまでの海外プロジェクトの経験などから日本に居ても面白くない。ニューヨークで起業する。無謀と言われたが、無謀でない挑戦などない。信念に反する仕事、プロフェッショナリティを追求できない仕事はしたくない。

これまで複数の大学院で教鞭を執らせていただいた。いい加減なことはいえないので、アカデミックの勉強もした。亡き師匠がいった。「理論と実践を繰り返して信念は生まれる」。その通りだ。

60歳を過ぎ、大企業ではなく中小やベンチャーの支援をしたいと思います。現在は、そうした会社のご支援をさせていただいている。ちなみに大企業エリートには中小企業は務まらない。

気づいたら黄色の介護者保険証が送られてきた。高齢者になっていた。師匠がいった「老いは人それぞれだ」。これからもプロのコンサルタントとして粛々とカタナ(腕)を磨き、会社を良くすることに尽力しよう。(宮川 雅明)